ただの人としての、大田

いうまでもなく、我が家はカカア天下です。

 

おかげさまで、私は胸を張って亭主関白になれます。

 

なぜなら、関白の任命権は我が家の天皇陛下(=妻)にあるからです。

 

位は、天皇陛下のほうが関白より上です。(日本史を思い出してください)

 

「白いカラスが飛んでるね♪」と言われれば、

 

 

 

答えは勿論イエス!@真心

 

 

 

このようなわけで、さだまさしの関白宣言を出すまでも無く、世間の亭主関白のイメージとは大きく異なる亭主関白なのが家庭での私です。

 

そんな関係なのでこういうことも起きます。

 

 

夕食中。

 

 

妻が刺身を箸でとったのが目に入りました。

 

 

 

『ぽとっ』

 

 

 

妻の箸から刺身がテーブルの上に落ちました。

 

 

 

(あっ落ちたな。)

 

 

 

私はそう思いました。

 

 

妻は落ちた刺身を再び掴みました。

 

 

 

『ぽとっ』

 

 

 

(あっまた落ちたな。)

 

 

 

横目で見ながらおもむろに酒を飲む私に妻は言いました。

 

 

 

「食べるよね?」@カミサマ

 

 

 

 

「ん?」@わたし

 

 

 

 

「食べるよね?」@カミサマ

 

 

 

 

「はい。。。頂きます。」@わたし

 

 

 

 

こうして二度テーブルに落ちた刺身は私の口に入っていきました。

 

 

 

 

 

また別の日の夕食中。その日は焼肉でした。

 

 

 

妻が焼肉を箸でとったのが目に入りました。

 

 

 

『ぽとっ』

 

 

 

妻の箸から焼肉がテーブルの上に落ちました。

 

 

 

(あっ落ちたな。)

 

 

 

私はそう思いました。

 

 

妻は落ちた焼肉を再び掴みました。

 

 

 

『ぽとっ』

 

 

 

(あっまた落ちたな。)

 

 

 

横目で見ながらおもむろに酒を飲む私に妻は言いました。

 

 

 

「食べるよね?」@カミサマ

 

 

 

 

「ん?」@わたし

 

 

 

 

「食べるよね?」@カミサマ

 

 

 

 

「はい。。。頂きます。」@わたし

 

 

 

こうして二度テーブルに落ちた焼肉は私の口に入っていきました。

 

 

世のご主人の皆様、”亭主関白”になってもならなくても、勝負は始めから決着しています。

 

この現実を受け入れて、また仕事に邁進しましょう。

ただの人としての、大田

昔より「金を残すは下、名を残すは中、人を残すは上」という言葉があります。

 

確かにそうだと思います。

 

しかし、私のような凡人は「下」すら難しい。

 

そこで私は考えました。

 

「金を貯めるは下、金を稼ぐは中、金を活かすは上なり」@大田

※この格言はグーグルで検索してもありませんでしたので、令和二年7月27日を持って私の格言とします(^^)

 

どれだけ望んでも、金を残すほどの大金を稼ぐことやまして歴史に名を残すことなどは多くの人には縁が無いことだと思います。人を残すことに対しては、「人を残すとはどういう意味か」という定義がない以上、次回の課題となります。

 

凡人は考えます。

 

確かに、人を残したり、名を残したりすることと比べれば、お金を残すことは一段下かもしれない。一般的に、人や名を残しても争いは起きないが、お金を残すことで争いが起きることはよくある話だからです。

 

しかし、やはり現代においてはお金の価値を無視することはできません。ゆえに、先の格言においても、下とはいえお金を残すという言葉があるわけです。

 

なので、

 

先の格言は「残す」が基準、私の格言は残す前の「金」が基準です。

 

よって、正しい使い方は

 

金を残すが下における順位=(金を貯めるは下、金を稼ぐは中、金を活かすは上)→金を残すが下

 

となります。

 

こうして、人は金を残す下の段階に到達するというわけです。

 

これを「凡人における金に関する一般理論」@大田

 

と名づけます。

 

この話は折を見てまた考えたいと思います。

ただの人としての、大田

ご縁があって、最近、ある宿に宿泊することが何度かあります。

その大浴場に小さいながらサウナが付いています。

あれは、夕食前のひとっ風呂を浴びに行った時。

先着が2名いたのは全然問題ないのです。

まあ、お一人はかつてミュージックステーションをドタキャンした某ロシアのアイドル2人組みが入っていた方でしたが、実に丁寧にご利用する感じの良いおじ様。

今回、もう一人のお方にスポットを当てて見たいと思います。

 

 

前兆はありました。

 

 

体を洗うためにブースを探すときにチラッと目に入ってしまった不自然な光景。

 

風呂桶に複数枚の色の異なる布切れが入っている。。。

 

明らかに誰かがお風呂で洗濯をされている。

 

風呂には私を入れて3人。

 

ミュージックステーションをドタキャンした某ロシアのアイドル2人組みが入っていた方はお隣で体を洗っておられる。

 

もう一人、おじいさんが水風呂に入っておられる。

 

 

「おじいさんは風呂で洗濯か?」@はだかの中年

 

 

ドンブラコ。どんぶらこ。

 

まあ、いいか。

 

わたしは、その白いシャツが入った風呂桶をちら見しながら、海が広がる露天風呂に向かって己のもう一人の己を海に向かって見せつけながら、お湯につかります。

 

私は、サウナが好きなので、サウナがあると必ず入ります。

 

おじいさんは内湯に浸かっています。

 

返す刀で、再びその白いシャツが入った風呂桶をちら見しながら、サウナへ。

 

10分後、衝撃の光景を目にすることになります。

 

 

サウナをでた瞬間、おじいさんが四角形の石でできた中に体を「きゅっ」とした状態で入っているではありませんか。

 

その形はまさにV字。

 

ヴィクトリー。

 

V字回復。

 

いかんいかん。余計なことを言ってはいけない。これからおいしい夕食とビールが待っているというのに、ここで余計なことを言って気分が悪くなることだけは避けねばならぬ。

 

そう思い、そのまま、何事も無かったことにして、水風呂へ。

 

 

 

 

ぬるい。

 

 

 

そして、何かエノキの頭ぐらいの白い物体が30個程度くらげのように浮いている。

 

目が悪く、メガネをはずしているので入る前までは綺麗な水に見えていたのです。

 

これは何かがおかしい。

 

そう思った私は、予定を30秒以上切り上げ、再び、予定に無かった露天風呂へ。

 

しばらくして中に入るとおじいさんはいません。

 

そして、その白いシャツが入った風呂桶もありません。

 

だれもいなくなったことを確認して、先ほどのおじいさんが入っていた場所にいきます。

 

もしかしたら、何にも書いてなかったかも知れないし、勘違いしたのかもしれないし、本当はそこが水風呂でだったかもしれないし、さっき俺が浸かった水風呂は実は水風呂ではないかもしれないし。

 

 

 

 

「かかり水」

 

 

そこには目の悪い私でも読める大きさで書いてあります。

 

 

「かかり水」

 

 

かかり湯ならぬかかり水。

 

かかり水というのも初めて目にしたのですが、そんなことはどうでもいい。

 

人生の先輩はやはり「かかり水」に入っていたのです。

 

 

じゃあ、あの水風呂に浮いていた白いキノコサイズの物体はなんだ?

 

 

 

「泡・・・泡・・・白いシャツの・・・泡」

 

 

 

そう思って水風呂を見るとすでにキノコはありません。きっと、循環したものと思われます。

 

これは宿の人にいうべきか言わざるべきか。

 

 

 

 

でもなあ、やっぱり宿の人に俺がクレーマーとか気分を害されるとこの後の夕食とビールがなぁ。。。

でもなあ、俺の目が悪いから、もしかしたら洗濯とかはしてないんかもしれんしなぁ。。。

でもなあ、間違いなく「かかり水」に全力でV字で入っていたしなぁ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のぼせる。

 

 

 

 

 

 

そのままおいしいビールを飲んだのでした。

ただの人としての、大田

つい先日、ある特殊ルートより

 

「ブログ見てます!いつ更新するのですか?ブログ見てます!」

 

という、令和一発目のリクエストがあるとの情報を入手いたしました。

 

世の中コロナにより引きこもり需要が増す中、こんな私のブログにさえ需要があるということに素直に驚くと共に、これまで手を抜きに抜いて魂まで抜ける私のブログをお待ちいただいている読者の皆様に置かれましては謹んでお詫びと御礼を申し上げます。

 

これから先もきっときっと「急にブログを連投したかと思えば、いきなり数ヶ月は放置し忘れた頃に更新する」スタイルとなります。
どうぞよろしくお願いします。

 

 

さて、

 

 

私の趣味は「料理」です。
これは私のブログ読者であれば周知のことと存じます。

 

理由はストレス発散できると思うからです。

 

既に本屋や頭の中におおよその完成形が存在し、大よその手順と時間がレシピとして存在し、基本その通りに作ればまあまあ満足のいく料理が完成する。それを喜んでくれる家族がいる。つまり、

 

「誰かの役に立っている」

 

という人間の生きる意味を料理という仕事を通して確認することができるのです。

 

ドラッカー的に言えば「社会が機能するためには、一人ひとりの人間に「位置」と「役割」があって、かつ、そこに存在する権力に「正当性」がなければならない。」という「社会における一般理論@上田」の実現が料理を通じて可能であるわけです。私にとってはですけど。

 

小さな社会である「家庭」の中において、私は料理をする「役割」と「位置」があり、かつ家族に喜んでもらうために料理をしてよいという「正統性」があるのです。こうして、「家族」という小さな社会は機能するわけです。

 

 

うーん、カタイ!

 

 

本業の仕事ではなかなかこのプロセスを含む喜びを感じることがまだ十分にないという意味で
「ストレスフル」な私にとって、料理は言ってみれば「仕事による貢献感の補助」の役割を担っているわけです。

 

そんなストレス発散を目的とした料理ですが最近ストレスがたまっていました。

 

原因は

 

 

「包丁が切れない」

 

 

ことです。

 

仕方がないとは理解していますが、やはり切り続けると切れなくなります。

 

 

「じゃあ研げばよい。」

 

 

しかし、中学校時代に父から研ぎ方を数回教わった程度では砥石を使用した包丁研ぎはできませんので、しかたなくこれまではシャープナーを使用していました。

 

シャープナーを使用するとその瞬間はなんとなく切れ味が戻った気になるのですがすぐにもとのなまくら刀になります。

 

そんな包丁で趣味のネギの小口切りやきゅうりの輪切りをすると、必ず繋がった状態になります。これがストレスなのです。

 

 

 

「もう、もーう、我慢できん!砥石を買う。
買って自力で包丁を研げる男になる!」@ルフィ

 

 

 

そしてと石を購入。

 

近年は動画で包丁研ぎを教えてくれるサイトもありますので何度も何度も見てエアー包丁研ぎをして本番に臨みます。

 

 

結果、上手くいかん。

 

 

10円玉2-3枚を動画の通りにおいて、力加減もその通りに、角度は45度で20回程度を目安に研いだのに。。。

 

コピー用紙が斜めに切れん。
トマトが横からスーと薄い紙のように切れん。

 

補助器具を買う。

 

装着。

 

カエリができた。

 

再挑戦。

 

 

結果。

 

 

「むふぅ」@王騎将軍

 

 

できました。

 

コピー用紙が斜めに切れた。
トマトも未来が見通せるほど薄く切れました。

 

次の段階として、
トンボがその刃先に触れただけで真っ二つに切れたという徳川家康の側近四天王のひとりで本多忠勝所有である伝説の名槍「トンボ切り」のような切れ味を我が包丁に纏わせたいと思います。

 

 

PS:最後に、読者の皆様の声が、最近、酒で意識を無くすようになった43歳の中年親父の脳への刺激となりますので、定期的に刺激を与えて下されば幸いです。

ただの人としての、大田

先週、当店のお客様より「社長、ブログいつも見てますよ」と言われました。

ありがたいことです。

その一言がきっかけとなり、本日久しぶりに書こうと思います。

 

 

以前にも書いたと思いますが、ストレスをため過ぎる性格なのに発散の手段を

持たない私が、唯一自分の力で開拓したストレス発散方法。

 

それが「料理」

 

理由は行動できて結果が即日わかるからです。

 

今や、調理器具も自腹でそろえます。(家計からの補助金などは一切でません)

 

例えば、

刺身が大好きな私は、

あの板前さんのようにおいしいお刺身を食べたいとの一身で

柳刃包丁を購入。

 

新婚時代より愛用してきた土鍋が壊れたことをきっかけに購入した「ル クルーゼ」の

アウトレットではこれ以上の味は出せぬと悟り、悩みに悩んで

「バーミキュラ」を購入。

 

最初の師匠(直接ではございません)である「分け とく山」の野崎洋光さんの本を買いまくり、

一つ一つ作ってきた料理に加え、やがて、様々なプロの料理人の本を買いまくり、借りまくり、

毎週日曜日ごとに調理して参りました。

また、近年では動画も充実しておりますので、動画を見ながら練習したり、

時には、プロの料理人に直接教えていただく機会も得て参りました。

 

そして、辿りついた境地。それは・・・

 

「豆腐」

 

安い・うまい・高栄養

 

今では週に3日は豆腐を食べます。

 

子供たちに「今日の夕食は何が食べたい?」と尋ねるとたいてい

 

 

「何でもいいです」@ムスメandムスコ

 

 

というのですが、私が

 

 

「じゃあ、湯豆腐ね」

 

 

といつも言うものですから、最近では

 

 

「湯豆腐以外なら何でも良いです」@ムスメandムスコ

 

 

というようになりました。

 

私の湯豆腐は基本的に海原雄山推奨の「湯豆腐」です。

 

海原先生のお話では

  • 主役の豆腐は「清冽な地下水、国産の無農薬大豆、天然のニガリ」で作ったもの
  • 水は日本酒の醸造元から送られた酒の仕込み水
  • 昆布は上等なもので、いくつかに切り込みを入れる。
  • これらを水の状態から土鍋に入れて強火にかけ、ぐらりぐらりとゆれたときが食べごろだ。

そうです。

ほとんど真似ができない湯豆腐です。

特に材料。

もはや、もこみちの「moco’S キッチン」を見て、

「その材料はどこに売っているのか」

と突っ込むレベルです。

 

そこで私も真似して

  • 主役の豆腐は「たぶん綺麗な水道水、国産の有機栽培大豆、天然かはわからないニガリ」で作ったもの
  • 水は浄水器から送られた水道水
  • 昆布はスーパーで売っている中で上等なもので、いくつか切り込みは入れない。
  • これらを水の状態から土鍋に入れて弱火にかけ、ぐらりぐらりとゆれたときが食べごろだ。

と、ほとんど真似ができない湯豆腐です。

 

 

そして、海原先生推奨の食べ方も。

  • かつお節とゆずは食べる直前にかいたものを乗せ
  • ショウガと乗せて
  • しょうゆで食べる。

そこで私も真似して

  • かつお節は食べる直前にかつお節パックの封をあけ、ゆずはゆず胡椒を少量を乗せ
  • ショウガはあらかじめすりおろしたものを乗せて
  • しょうゆで食べる。

それでも、こうなる。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、私の火力が強火ではなく弱火なのは「バーミキュラ」を使っているからです。

土鍋を使いたいのですが、カミサマ(妻)より

 

 

「保存する場所がない上に、無駄使いをしてはなりませぬ」@カミサマ

 

 

とのお達しが出ているためです。

 

それでも、我慢できずに長谷園の土鍋を買いに言ったら、10.000円オーバー。

それを見ていた妻は、

 

 

「ふんっ!ホームセンターに行くよ!」@カミサマ

 

 

と一言。いまだ土鍋は購入できていません。

 

もし、土鍋が購入できたら、コークスですっぽんを炊いて炊いて炊いて

※こんなことを自宅で行えば全焼です。

 

最後は水だけですっぽん雑炊ができるレベルに育てたい夢があるのですが、

それには「大市」にお願いしないといけませんし、そんなことはできません。

 

 

「あ-あ、おれがビルゲイツだったらなぁ。大市買収するのに」@ずん飯尾

 

 

そんなわけで、今日も湯豆腐です。

 

子供たちにはこう言います。

 

 

 

「今日の夕食何がいい?」@私

 

「湯豆腐以外なら何でも良いです」@ムスメandムスコ

 

「そう、じゃあ、大豆を煮たやつにニガリを加えて冷やし固めたものをお湯で温める鍋・・」@私

 

 

 

「それを世間では『湯豆腐』というのですよ」@ムスメandムスコ