
アンパンマン。
それは今は亡き”やなせたかし”がご自身の戦争体験を込めた思いを具現化した偶像。
主人公であるアンパンマンをはじめ、
いつも暖かく見守り続けるジャムおじさん
姉のような存在のバタコ、
そして言葉は話せないが理解ができる天才犬のチーズ
パンという共通項を持った支援者たる食パンまんとカレーパンマンの準ヒーローをはじめとした
主に炭水化物系一族という家族風共同体組織を中心として、
永遠のライバルであり、その長年の戦いで生まれた友情がときに感動を呼び起こすバイキンマンと
だめな兄貴を支えるかのようでいて実は身内でなく、唯一敵方である食パンマンには片思いをしているが決して峰ふじ子のように露骨にバイキンマンを裏切ることの無い健気なドキンちゃんとの2人しかいない小さなバイキンマン一族
との戦いを描いた大スペクタクル作品。
構成上、アンパンマンが正義でバイキンマンが悪者であることは解りやすくて子供には良いのだが
問題は正義が悪者に勝つというプロセスにあることはお気づきであろうか?
そう、アンパンマンは常に多数を持って一人で戦うバイキンマンを袋叩きしているということ。
だが、今日の考察の本質はそこではない。
本質はアンパンマンの心の闇が描かれている以下の部分である。
やなせたかしは自ら作詞したオープニングテーマ「あんぱんまんマーチ」でアンパンマンについて高らかにこう歌い上げる。
「愛と勇気だけがトモダチ・・・」
あんなにたくさんの支援者や仲間がいるにも関わらず彼はこう唄うのだ。
「愛と勇気だけがトモダチ・・・」
愛とは関心を持つこと
勇気とは捨てること
彼は長年の闘いの中で、何かに関心を持ち続け、何かを得るたびに、何かを捨ててきたのである。
その結果得た現在のアンパンマンという地位から見れば
いつもいつも自分よりも主体性の無い他の者たちは所詮自分と同じレベルには無くトモダチ足りえない存在である。
例えば、カバオが腹が減ったといえばいつも自らの顔を1/3も差し出してカバオのお腹を満たそうとすると同時に、
「このあとバイキンマンと戦うのに顔を1/3も上げちゃうとパワーが足りなくて負けちゃうかも」
などということはヒーローとして絶対に口に出してはいけない宿命。

「これ食べて元気だしなよ」

「こんなのいらねぇよ」
「まっ でも、このあとジャムおじさんが交換用の顔を持ってきてくれるからいっか!」
と期待しつつも
「ごめん!今日は釜の調子が悪いからムリ!」
となる可能性も否定できずに、不安な気持ちを持ちつつも、それを凌駕すべくすぐに他人に頼らず自ら道を切り開かんとする決戦の場に行かなければならない宿命。

「毎日パン作るの大変なんだよ。たまにはドライブ行かせてよ。」
バイキンマンの頭の調子が良くて、なかなか強い兵器ができた時だけしかたなく応援に来る
食パンマンとカレーパンマン。
だが、いつも威勢の良いのは最初だけで、
カレーを吐き出しすぎて空になり勝手に自爆するカレーパンマンと

「すぐこうなる。」
最後はドキンちゃんとイチャつきだすどっちつかずの二枚目食パンマン。

「どこ触ってるの?」
やたら海苔を眉毛やひげに強調して日本男児を演出するも、
大体プライドだけが高く喧嘩ばかりして足を引っ張る丼系やおにぎり系のあいつら。

「僕たちのことです。」
こういう自己中心的な身内をも相手にして広い心で受け入れ助けながら、勝っても勝ってもゾンビの如く戦いを挑んでくるめんどくさいバイキンマンを相手にし続けるこの人生。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ。」
交換しないといけないのは顔ではなくアンパーンチを放つその拳であることは明白である。
だが、一度足りとてジャムやバタコが
「アンパンマーン、替えの拳(こぶし)よー」
と交換していところが放送されたことを見たことがない。

「換えの顔ならたくさんあるのに。」
つまり、彼にとって真のトモダチといえるのは自分自身であり、それが愛と勇気だけなのである。
世界一流といわれる人物に共通していることがこの孤独である。
この孤独の境地に耐えられるものでなければ、長年にわたって平和と人気を保つ続けることなどできないのである。
以上の考察より、やなせたかしはアンパンマンという作品を通じて自らの体験を通して
頂きを極めんとするものの厳しさと悲しさという現実を未来の子供たちに、そして大人たちに
伝えんとしたのではないだろうか。
昔、小さなわが子がアンパンマンを見ているのを見ながらふとそんなことを妄想してみました。
PS:やなせさんほかアンパンマン関係者の方々、広い心で笑ってお許し下さい。
