ただの人としての、大田

ストレス発散手段を持たない身としては
「これではいかん」
ということで料理にストレス発散を求め続けて早3年。
そんな私の先生は
「分けとくやま総料理長 野崎洋光さんの本」です。
これまでいろいろと料理本を買って読んだり
妻が持っている本も妻以上に読んだり
上沼恵美子もキューピーもNHKも見たりして参りましたが、
どうにも私の少ない脳みそでは理解できず
途方に暮れていた時出会いました。
見やすい。
わかりやすい。
美味しい。
特に調味料など従来「適当」「感覚」で表現されていたモノを
化学反応と数値できちんと理屈で示してくれているところは
「剣道5段 屁理屈7段」と結婚式のあいさつで評された私には
ぴったりでした。
数値と理屈の良いところは、その通りに作れば失敗が少なく
味もとりあえず食えるモノができると言うこともありますが
もっと良いことは
失敗した時に「原因を追究し、失敗を次に生かすことができる」
ことです。
これが従来の「適当」「感覚」であってごらんなさい。
失敗した時、
「どこで間違ったか」がわからず又同じ失敗をしてしまうじゃあありませんか?
そういうわけで
経営も同じなんだろうと思うのです。
「勘・経験・度胸」いわゆる「KKD経営」は歴戦のつわものの経営者の方が
よく仰る言葉です。
でも、私のような、もともと「勘・経験・度胸」を持ち合わせていないヘタレ経営者
にはこれは苦しいものです。
そんな時、数値に基づく経営を行うことができれば、失敗してもやり直しがききやすい。
之を繰り返しながら、やがて「勘・経験・度胸」がつく先人方のようになれればと思います。

ただの人としての、大田

今朝、妻が言いました。
「昨日、○○ちゃん(娘5歳)がね、
『ママから怒られた時はパパが優しくて、パパから怒られたらママが優しいのはなんで?』
っていってたよ」と。
それを聞いた時、私は少しだけ安心しました。
というのも、娘が生まれた時に夫婦で決めたことの一つに
「絶対に二人で叱ることだけはしない」
ということがあったからです。
でも、正直、密かに私達夫婦はこの決まり事を守っていないなと
反省することがありました。
でも、今日の妻の言葉に少しだけ安心しました。
念の為、娘にも聞いたら
おんなじことを言っていたのでまた安心しました。
ああ、親としては完璧には出来てないけど、娘の中ではちゃんと伝わっているんだなと。
次は娘に
「怒られた」ではなく「叱られた」と思ってもらいたいです。
できれば、父親の私は
叱る回数を減らしていきたいものです。

ただの人としての、大田

一昨日、祖父で大田質屋創業者である大田重俊が亡くなりました。
96歳。
大正5年生まれ。
甘木の貧乏農家に生まれ
戦時中はいきなり関東軍に所属となり、
気が付いたら自分以外の所属部隊全滅を経験し、
天津で商売をし、
満州から命からがら日本に戻り、
「浮世絵師か金貸しになろうと思い」質屋を始めました。
90歳までは毎日毎日決まった時間に店の伝票の確認を続け
毎日毎日決まった時間に散歩に出かけ
毎日毎日決まった時間に仕事に出かけ
毎日毎日ウナギを食べ酒を一合半飲む。
「幽霊は叩き切ればよい」との名言を残し、
「貴様ー!」と沢庵をタッパー毎投げつけ
「今日も商店街は誰も人がおらん」とさみしそうに言い
「俊輔は今日も店を開け取るのか?」と死ぬ直前まで会社を気にする。
そんな祖父を、時に人は、「大田のじいさんは変わっちょうきのー」といい、
『日の出町”三奇人”の一人』と言いました。
この言葉の裏には、「本当に変わった人」と言う意味と、
「この人ならしょうがねぇか」という一種の親しみが含まれていたのではないかと思います。
ちなみに、本日を持って『日の出町”三奇人”』は全員鬼籍に入ったことになります。
この三人は仲が良いのか悪いのかわからないほど良く喧嘩していた記憶があります。
今頃、あの世で多分喧嘩していると思います。
祖父が質屋を始めたころは、世の中の決まりごとは法律だということで
一人で六法全書を暗記して勉強したそうです。
おかげで少々の書類は自分一人で書けるようになり
「弁護士に褒められた」と嬉しそうに話していました。
また、天津で商売していたこともあって、中国語はベラベラでした。
そういえば、私が中学二年の時、祖父と二人で2週間ほど
中国全土を旅した時、チベットで私が高山病にかかった時、
ホテルの人の対応が悪かったことに腹を立てた祖父が
モノすごい剣幕で中国語で文句を言ったら対応が良くなった経験があります。
今考えると、あの時代、若いころに生きるためだけに商売を始め
その為だけに中国語を身につけ、中国人相手に商売をして金を稼いで
いたわけですから、それがどれだけ凄いことかということを
私の現在の状況と照らし合わせてもわかるというものです。
その他にもいろいろエピソードはあるのですが
一番私の心に残っているエピソードがあります。
それは「夜の戦場でやってはいけないこと」です。
夜の戦場でやってはいけないこと、
それは
「煙草を吸ってはいけない」のだそうです。
なぜか?
戦時中。
祖父の部隊が夜営を行っていたそうです。
連れと二人で立ち小便をしていたら
連れが突然狙撃されて死んだとのこと。
二人の生死を分けたモノ。
それは「煙草」でした。
煙草の火が暗闇の格好の標的となったのです。
だから、「夜の戦場では煙草を吸ってはいけない」のだ
と祖父は言いました。
そういうわけで
私は今後死ぬまで夜の戦場で立ち小便をするときは
煙草を吸うことはないでしょう。
全体を通して、祖父は完全なる実務の人でした。
様々な苦労をして今日まで生きてきた。
人生の”たたきあげ”の人でした。
夢物語は一切語ることのない人でした。
勉強家ではありましたが、私と異なり
知識に使われる人ではなく、
現実の経験に基づいて知識を使う人でした。
それゆえか、贅沢を好まぬ人でした。
服装はほとんど同じ服装でした。
破れても縫って着れば問題ないと平然と言う人でした。
物欲もほとんどなかった人でした。
さみしがり屋の祖父でした。口には出しませんでしたが。
怖がり屋の祖父でした。口には出しませんでしたが。
若い頃は魁!男塾にいそうな祖父でした。口には出しませんでしたが。
昔話と自慢話が好きな祖父でした。本当は、話がしたがっただけです。
癇癪持ちの祖父でした。本当は、話がしたがっただけです。
強がりの祖父でした。本当は、話がしたがっただけです。
「神様とかおらん!」と言っていた祖父が、サバに当たった時、治療してくれた先生に
「先生が神様に見えるバイ!」と言っていた祖父。
 80過ぎても握力が剣道していた私よりも強かった祖父。
 80歳に際し「もうワシは長くない」と言いながら16年間同じセリフを言い続けた祖父。
 祖父のあまりの鷲鼻に「グラフか!」と突っ込みを入れると「誰かそれは?」と普通に言っていた祖父。
私にはとてもやさしい祖父でした。孫はそのやさしさに甘え続けた馬鹿でしたが。
祖父はよく私に「本読みになったらだめだ」と言っていました。
また、高校から体が大きい私に対しては
「大男 総身に智恵が 回りかね」
と揶揄することもしばしばでした。
当時は、この言葉を言われる度に腹を立てていたのですが
今考えると、当時から私の弱点を見抜いていたわけです。
この孫は
時に慕い、
時に疎み、
時に甘え、
時に嫌う、
孫として決して良い孫ではなかったなぁと思います。
祖父が亡くなった今朝、嘘のような出来事がありました。
大人の手のひら大はあろうかという蜘蛛が
店の角にいました。
倉庫の扉を開き、戻るといなくなっていました。
哀愁に浸りすぎなのを承知ですが、
あえて思いたい。
あれは祖父だったと。
死ぬ直前まで仕事と店の心配をしていた祖父ですから。
だから、
今日も明日も、
お通夜も葬式の日も
大田質屋はいつもと変わらず営業中です。
さようなら。
左様ならば、仕方がない。
さよならだけが人生だ。
PS:祖父が亡くなった日、大トラブルが発生しました。
  祖父の葬儀が終わった日、円満に解決しました。
  
  じいちゃん、ありがとう。

ただの人としての、大田

昨年末、我が家のカミサマの2年越しのお願いと執念ならびに怨念により
全自動掃除ロボット「ルンバ」を買わされ、もとい、買わせて頂きました。
『贅沢は敵だ!(@戦中日本)』@私
「まんずやかまず!(@東北)」@カミサマ
以来、ルンバは妻により毎日奴隷のごとく働かされております。
その働きぶりはまさしく”勤勉”という言葉がぴったりでして
その姿を目の当たりにした私は、己の仕事ぶりを大いに恥るに到り、
子供たちはそんなルンバを尊敬して「ルンバ様」と呼ぶに至りました。
妻がルンバのスイッチを押す様は、さながら古代エジプトのピラミッドを
建設するにあたり、奴隷の背中をムチでしばき上げる様に似ていなくもありません。
さて、そんなルンバなのですが、帰宅した時にしばしばいつものホームポジション
にいないことがあります。
そういう時は大抵何らかのトラブルに巻き込まれており
どこかの部屋で停止していることが多いのです。
ただ、その時のルンバの姿が本当に不憫でして。
一生懸命毎日毎日掃除をして
誰かの携帯充電器のコードが床に落ちていただけで
それに気がつかず、けなげにそれを吸い取っただけで
(ルンバはただ掃除をするという当たり前の職務を遂行しただけなのに)
無残にもコードが絡みつき、それでも何とかしようとしいるうちに
バッテリーがなくなり停止するに至った。。。
そんなことを目の前に停止したルンバを見て思えば思うほど
”あぁ、辛かったろう。苦しかったろう。”
と感情移入してしまって、
”今から、コードを外して、いつもの家に帰してあげるからな”
などと思ってしまうわけです。
別の日には、カミサマが
「あっ今日はなんか良く部屋が汚れているから、もう一回そうじさせよっと♪」
という恐ろしい号令と共にルンバのスイッチを入れ、ルンバは1日に2回出勤という
ダブルヘッダーを組まされ、重労働の旅へと出発するのです。
それでも文句の一つも言わずにいつものように掃除をするルンバ。
思わず私が
”あぁ、かわいそうに・・・”とつぶやくと
「私にもそのいたわりの言葉をかけたらいかが?」@カミサマ
と逆鱗に触れる始末。
そのうち、
「ねぇねぇ♪毎回スイッチいれるのめんどくさいから、自動設定してよ♪」
とのご命令により自動設定をさせられた結果、ルンバは強制的に朝10時に
出勤させられる羽目となりました。
挙句の果てに、子供達が夜8時までに寝ない時など
「早く寝ないと”ルンバ様”が”おち●●こさん”を吸い取りにくるよ!!!」@カミサマ
「嫌だ-----—!!寝ます-----–!」@子供
などと、もはや使い方を誤った脅しにも使われるルンバ。
まぁ、最初はその高価格に
「こんなん買う人は、ばっかじゃなかろうか”ルンバ”(@楽天野村監督)」@私
と思っていたわけですが、今はその存在が大変にありがたいと
思うわけです。
日本企業も、このルンバに触発されて遅まきながら類似商品を
投入してきていますが、もうしばらくルンバの優位性は続きそうです。

ただの人としての、大田

今日は1月12日。
遅まきながらですが、新年のご挨拶です。
今年もよろしくお願いします。
さて、年末31日、世間がせわしく動く中
私は子供を連れて凧揚げに行きました。
凧は正月に上げるモノと心得ておりましたが
たまたま31日に近所の公園に遊びに連れてきた折に
余りにも空が青くて
つい「そうだ!凧揚げしようぜ!」と
思いつくままに言ってしまったのが運の尽き。
凧揚げ経験どころか、その場で初めて凧上げという単語を
聞いた子供たちは「凧上げしたい~」と興奮状態に。
凧上げが何かも知らないのに
それをしたいと全力で目を輝かせて言える素直さは
かつて私も持っていたモノに違いありません。
それが大人になるにつれて
「いやいや、この発言の裏にはきっと何かがあるにちがいない」
などと勘繰るというおろかさ。
そんなわけで
凧あげをした年末31日。
凧あげをしたことがない子供たちに
凧上げのなんたるかを示さねばということで
30分間は凧上げ2人分を全力疾走。
こうして正月3日間は全身筋肉痛で
迎え、今日に至るまでブログを更新できなかったのでした。
今年の抱負は
「もう少し嘘を上手に。できれば優しい嘘をつく@ヤマジ」
今年もよろしくお願いします。
$田川を愛する質屋とその質草たち