「マネをせよ」と「マネをするな」~どういう時にマネをして、どういう時にマネをしないか~の考察

  • エピローグ~工藤監督とノーベル賞受賞者

TVで工藤公康(元福岡ソフトバンクホークス監督)が、少年野球の子供から

「どうしたら野球が上手くなりますか」

と質問を受けていた。

 

工藤監督は

「(憧れている)選手の真似をすることだよ。
自分もそうしていた。どうしたらあの憧れの選手の
ようなプレーができるかと考えてマネをしていた」

と語っていた。

 

2015年ノーベル医学生理学賞受賞者である大村智(北里大学特別栄誉教授)は

「人のマネをするとそこで終わり」

として以下のエピソードを語っている。

【以下引用】——————————————————————-

高校、大学時代にスキーに熱中し、国体にも選ばれたという大村さん。
強豪に学ぼうと合宿で訪れた新潟で、こう言われたという。

『自分たちも北海道に勝つために、北海道に行って練習した。ところが何回行っても負ける。『北海道に行くのはやめて、自分たちで練習方法を考えないと勝てない』。

だから自分たちで考えて、北海道に勝つようになった」。科学も同じだと述べた。

—————————————————————–【引用終わり】

工藤監督は「マネをせよ」と語り、
大村教授は「マネをするな」と語り、
双方とも素晴らしい成果を残した。

これは一例に過ぎず、両者の職業的な違いがあるのでそのあたりは留意すべき点である。

しかし、注目すべきは、「マネをする」ことと「マネをしない」ことには成果における相関関係がないように思われる。しかし、果たしてそうか。

 

  • 真似とは何か?

辞書を引くと、真似とは「人を真似ること。模倣」とある。

モノマネ芸人という職業から推測すると、本人とそっくりなしぐさや顔などになろう。

端的に言うなら「コピー」と言っても良い。

恐らく、真似せよ派も真似するな派も、真似をする対象のレベルの違いに対して発言をしているように思われる。

それは、「自分より上手な人の真似をせよ、あるいは真似をするな」もしくは「自分より下手な人の真似をせよ、あるいは真似をするな」である。

経験上彼らのいうことは「上手な人の真似をせよ」「下手もしくは同等な人の真似をするな」ではないだろうか。

  • マネをせよ派

先の工藤監督の話には続きがある。それは工藤監督のアドバイスを受けた子供が「巨人の坂本選手の真似をしている。あの投げやりなうち方」と言ったのだ。

その時の工藤監督の表情はまさしく苦笑いであった。これは何を意味しているのであろうか。

確かに工藤監督は自らの体験をもとに「憧れの選手の真似をする」ことをアドバイスした。

しかし、それは「憧れ=上手」という隠れた前提があったに違いない。特に小学生の野球少年ならば、巨人の大打者である坂本選手に憧れることは普通にありえる。

坂本選手と言えば一見投げやりに見える打法が有名であり、それで史上最年少2.000本安打を達成したのであるから「野球が上手い」どころの騒ぎではない選手であることは確かだ。

ただし、それは恐らく長年の練習量と基本に裏打ちされた上での坂本選手独自の打撃方法であって、それをそのまま野球少年が真似をしたところで果たして上手になるかは疑問である。恐らく工藤監督の苦笑いはこうした意味が多分に含まれているのではなかったか。

蛇足ながら、もしこの少年が坂本選手の真似をして、全く上手くいかなかったときに、「基本の上に今の坂本選手があるのだ」と気がつき、基本に徹して練習することに気が付いたなら、工藤監督のアドバイスをきちんと理解できるかしこい野球少年であるかもしれない。

  • マネをするな派

対して、大村教授のエピソードを読み解くと次のようになる。

新潟のスキーチームの一員である大村教授は、ライバルである北海道に勝つために、同じ環境である北海道で合宿をした。つまり、練習場所を北海道チームと同じにし真似をしたのである。

しかし、場所は真似できても、練習が真似できなかったのかもしれない。(そもそも、記事には北海道と同じ練習をしたとは記載がない)。

結局、自分たちで考えた練習に変えて、北海道チームに勝てるようになった。この時の場練習場所はどこかはわからない。

 

ここから考えられることは、大村教授の真意が「だから”人の真似をするな”か」と言うことである。あくまでも見出しにおいてそう書かれているが、大村教授自身がこのエピソードから「真似をするな」と発言した事実はない。

エピソードからすると僅かに真似をしないことで成果があったという種は感じられるが少々マスコミ側の飛躍が見られる。

  • 仮説「マネをする」レベルと「マネをしない」レベルがある。

まず前提としてあるのは、真似とは、「下手が上手を真似する、しない」ということである。「上達する」という目的がそこに存在する。

上達とは進化と言い換えることができる。進化は長い時間を掛けて先人が成功と失敗を繰り返しながら掴んできたものである。

よって、初心者である現代人は、上達するために、先人の培ってきた上手な方法を学ぶ。これが真似をすることである。

もちろん、真似をせず独自で上達することも不可能ではない。しかし、既存の方法に関してはこれはかなり時間の無駄である。

なぜなら、長い時間を掛けて独自で習得しても、それは既に方法が確立しているからである、成果は等しい。

自分で習得しようが出来る人に教えてもらおうが真似しようが、成果は同じである。

この意味においては「真似をしなさい」は最短で上達する正しい方法である。

しかし、既存の方法は、その方法を持って出せる成果までという限界がある。その方法を持ってしても成果が出ない場合他の方法を考える必要に迫られる。この意味においては「真似をするな」が正しいとなる。

このように考えると、ある時点までにおいてお手本になりうるものがある場合は真似をしたほうがよい。

しかし、その先の誰にも容易に到達的ない領域に行くには、従来の真似だけでは到達できないがゆえに真似をしてはいけない。

上達には段階がある。そして上に行くほどそのお手本が少なくなる。誰もなしていない成果はそもそもお手本がない。

しかし、一部の天才を除いて、ほとんどの人が、その高領域に行くために必要な基本を必ず身に着けている可能性が高いということである。

つまり、それがなければ砂上の楼閣であり、だれでもおおよそ同じ成果が出せないという類のものである。

 

  • 真似の注意点

ただし、真似の注意点も指摘しておきたい。それは真似をする側にもある程度のレベルが求められることである。

先の野球少年が坂本選手を初めイチロー選手や大谷選手に憧れ真似をすること自体悪いことではないが、あまりにも差がありすぎる場合、近づくには時間が掛かりすぎる。

一見遠回りに見えてもきちんと基礎を固めることが近道である可能性は高い。また、レベルが高い人の話はレベルがある程度近くないと理解できないことが多い。また、野球などスポーツは
目に見える形で上達が確認できるので理解しやすいが、ビジネスなどはスポーツと比べると
成果までのプロセスが目に見えにくいためこの点が真似することを困難にしている。

とはいえ基本的には、初学者は自分より少し上手な人の真似をすることが最適であろう。

 

  • 結論

「真似をせよ」が有効なのは既に誰かが自分より上手に成果を出している。かつ、その成果は一般的に多くの人がその方法で成果を出していることにおいて有効である。

しかし、成果の難易度が増してくるとともに成果を出せる方法も限られてくることが限界でもある。

「真似をするな」は成果が世に出ていないものを創造する場合に適用される。とはいえ、これとてあくまでも既存の成果をある程度出せるレベルを習得しておく必要がある。

したがって、初学者はまずは自分より少し上手な人を「真似をせよ」。それを繰り返して一定のレベルに到達せよ。それでも過去の経験が通用しないならば「真似をするな」が正しい使い方となる。これは日本では「守破離」という。