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さよならだけが人生だ

一昨日、祖父で大田質屋創業者である大田重俊が亡くなりました。
96歳。
大正5年生まれ。
甘木の貧乏農家に生まれ
戦時中はいきなり関東軍に所属となり、
気が付いたら自分以外の所属部隊全滅を経験し、
天津で商売をし、
満州から命からがら日本に戻り、
「浮世絵師か金貸しになろうと思い」質屋を始めました。
90歳までは毎日毎日決まった時間に店の伝票の確認を続け
毎日毎日決まった時間に散歩に出かけ
毎日毎日決まった時間に仕事に出かけ
毎日毎日ウナギを食べ酒を一合半飲む。
「幽霊は叩き切ればよい」との名言を残し、
「貴様ー!」と沢庵をタッパー毎投げつけ
「今日も商店街は誰も人がおらん」とさみしそうに言い
「俊輔は今日も店を開け取るのか?」と死ぬ直前まで会社を気にする。
そんな祖父を、時に人は、「大田のじいさんは変わっちょうきのー」といい、
『日の出町”三奇人”の一人』と言いました。
この言葉の裏には、「本当に変わった人」と言う意味と、
「この人ならしょうがねぇか」という一種の親しみが含まれていたのではないかと思います。
ちなみに、本日を持って『日の出町”三奇人”』は全員鬼籍に入ったことになります。
この三人は仲が良いのか悪いのかわからないほど良く喧嘩していた記憶があります。
今頃、あの世で多分喧嘩していると思います。
祖父が質屋を始めたころは、世の中の決まりごとは法律だということで
一人で六法全書を暗記して勉強したそうです。
おかげで少々の書類は自分一人で書けるようになり
「弁護士に褒められた」と嬉しそうに話していました。
また、天津で商売していたこともあって、中国語はベラベラでした。
そういえば、私が中学二年の時、祖父と二人で2週間ほど
中国全土を旅した時、チベットで私が高山病にかかった時、
ホテルの人の対応が悪かったことに腹を立てた祖父が
モノすごい剣幕で中国語で文句を言ったら対応が良くなった経験があります。
今考えると、あの時代、若いころに生きるためだけに商売を始め
その為だけに中国語を身につけ、中国人相手に商売をして金を稼いで
いたわけですから、それがどれだけ凄いことかということを
私の現在の状況と照らし合わせてもわかるというものです。
その他にもいろいろエピソードはあるのですが
一番私の心に残っているエピソードがあります。
それは「夜の戦場でやってはいけないこと」です。
夜の戦場でやってはいけないこと、
それは
「煙草を吸ってはいけない」のだそうです。
なぜか?
戦時中。
祖父の部隊が夜営を行っていたそうです。
連れと二人で立ち小便をしていたら
連れが突然狙撃されて死んだとのこと。
二人の生死を分けたモノ。
それは「煙草」でした。
煙草の火が暗闇の格好の標的となったのです。
だから、「夜の戦場では煙草を吸ってはいけない」のだ
と祖父は言いました。
そういうわけで
私は今後死ぬまで夜の戦場で立ち小便をするときは
煙草を吸うことはないでしょう。
全体を通して、祖父は完全なる実務の人でした。
様々な苦労をして今日まで生きてきた。
人生の”たたきあげ”の人でした。
夢物語は一切語ることのない人でした。
勉強家ではありましたが、私と異なり
知識に使われる人ではなく、
現実の経験に基づいて知識を使う人でした。
それゆえか、贅沢を好まぬ人でした。
服装はほとんど同じ服装でした。
破れても縫って着れば問題ないと平然と言う人でした。
物欲もほとんどなかった人でした。
さみしがり屋の祖父でした。口には出しませんでしたが。
怖がり屋の祖父でした。口には出しませんでしたが。
若い頃は魁!男塾にいそうな祖父でした。口には出しませんでしたが。
昔話と自慢話が好きな祖父でした。本当は、話がしたがっただけです。
癇癪持ちの祖父でした。本当は、話がしたがっただけです。
強がりの祖父でした。本当は、話がしたがっただけです。
「神様とかおらん!」と言っていた祖父が、サバに当たった時、治療してくれた先生に
「先生が神様に見えるバイ!」と言っていた祖父。
 80過ぎても握力が剣道していた私よりも強かった祖父。
 80歳に際し「もうワシは長くない」と言いながら16年間同じセリフを言い続けた祖父。
 祖父のあまりの鷲鼻に「グラフか!」と突っ込みを入れると「誰かそれは?」と普通に言っていた祖父。
私にはとてもやさしい祖父でした。孫はそのやさしさに甘え続けた馬鹿でしたが。
祖父はよく私に「本読みになったらだめだ」と言っていました。
また、高校から体が大きい私に対しては
「大男 総身に智恵が 回りかね」
と揶揄することもしばしばでした。
当時は、この言葉を言われる度に腹を立てていたのですが
今考えると、当時から私の弱点を見抜いていたわけです。
この孫は
時に慕い、
時に疎み、
時に甘え、
時に嫌う、
孫として決して良い孫ではなかったなぁと思います。
祖父が亡くなった今朝、嘘のような出来事がありました。
大人の手のひら大はあろうかという蜘蛛が
店の角にいました。
倉庫の扉を開き、戻るといなくなっていました。
哀愁に浸りすぎなのを承知ですが、
あえて思いたい。
あれは祖父だったと。
死ぬ直前まで仕事と店の心配をしていた祖父ですから。
だから、
今日も明日も、
お通夜も葬式の日も
大田質屋はいつもと変わらず営業中です。
さようなら。
左様ならば、仕方がない。
さよならだけが人生だ。
PS:祖父が亡くなった日、大トラブルが発生しました。
  祖父の葬儀が終わった日、円満に解決しました。
  
  じいちゃん、ありがとう。